中学生の息子は、食べ盛り真っ只中。この年代の男子は、学校の給食の時間が本当に楽しみなようですよね。
夕飯は魚がいいのか肉がいいのか、おかずが被らないようにメニューを考えたりもしてますが、給食の献立表を眺めていると昔食べた給食が懐かしく思い出します。
こうやって令和の給食を見てみると、昭和の給食とは違うものです。フライドチキンにプルコギ、チリコンカン、国際色豊かなメニューで羨ましい限りです。
でも、やっぱり自分の子供時代の給食の味は忘れられないものですよね。皆さんはどんな給食が好きでしたか?懐かしい給食メニューと言えばコレ!というもの、一緒に見ていきましょう♪
時代別 懐かしい給食と言えば何?
現在では小中学校で給食が当たり前に食べることができますが、本格的に学校給食法として定められたのは1954年(昭和29年)になります。給食の思い出は、昭和~令和と時代の移り変わりと共に大きく変化していきます。
戦後まもなくの子供たちを取り巻く環境や、大人たちが踏ん張って作り上げてきた社会の変化に給食も大きく変容していきます。時代によっても給食メニューが違うため、今となってはもうお目にかかることが無いメニューもあります。
子どもの頃の給食のことを思うと、味や香りまでもよみがえってくるのが不思議です。あの頃の懐かしい給食とは?時代別に見ていきましょう
昭和中期の懐かしい給食メニューとは?
昭和中期(昭和40年頃まで)に小中学校に通っていた人とは、現在約60代~70代の人になります。現在の小中学生から見たら、おじいちゃんやおばあちゃん世代です。
この頃の日本は、第二次世界大戦後の高度経済成長期に入り、国民の生活水準が向上していった時代です。テレビや冷蔵庫、洗濯機の普及やガスを使用できる環境になり、食生活が激変しました。
この世代の人が学校給食で強烈に覚えている、懐かしいと感じているメニューが、
- 鯨の竜田揚げや鯨の南蛮漬け
- コッペパン
- 脱脂粉乳
恐らく現在の小中学生にはコッペパンしか想像できないんじゃないかと思いますが・・・。
鯨の竜田揚げ、南蛮漬け
現在は、鯨の肉を食べることはほとんどできません。1987年の商業捕鯨が停止されたことで、鯨の肉が日本人の食卓に上がることはなくなりました。
しかし、海に囲まれた日本では古来より鯨が重要なタンパク源であったと言われていて、第二次世界大戦後の日本は食糧難となった時にも日本人の栄養面を救ったのは鯨の肉だった、とされています。
栄養価が高く安価だった鯨の肉は、戦後の食べ盛りの子供たちの給食にどんどん供給されるようになりました。1962年まではどの肉よりも鯨の肉の供給量が高かったことから、昭和中期の食生活を支えていたと伺うことができます。
コッペパン
また、給食といえばコッペパンでした。米飯が給食メニューとしてお目見えするようになったのは昭和51年で、この頃は大量に炊飯ができる設備が整っていなかったため、と言われています。
脱脂粉乳
現在では給食には牛乳が定番ですが、この時代は脱脂粉乳をお湯で溶かして提供していました。脱脂粉乳とは、牛乳から乳脂肪と水分を抜いた粉末状のミルクです。
私の母(70代前半)は、脱脂粉乳だけは飲めなかったと今でも言います。給食の思い出は、脱脂粉乳が美味しくなかった印象が強かったみたいですね。
昭和後期の懐かしい給食メニューとは?
昭和後期(昭和64年まで)に小中学校に通っていた人とは、現在約40代~50代の人になります。現在の小中学生から見たら、お父さんやお母さん世代ぐらいでしょうか。小学生低学年だと、お父さんお母さんよりも少し上の世代かもしれませんね。
この時代には、電子レンジが日本人世帯の約半分に普及していました。ファミレスやファーストフードが続々と登場し、外食する家庭も増えてきた時代になりました。
食生活が豊かになってきたこの時代の給食とは、どんなものだったのでしょう。この世代の人が学校給食で懐かしいと感じているメニューは、
- カレーライス
- クリームシチュー
- 揚げパン
- 焼きそば
- ソフト麺
- ミルメーク
- フルーツポンチ
食事が洋風化に進み、給食のメニューも現在でも人気のものもありますね。この時代は、給食用の食器もアルマイト製からプラスチック製に、先割れスプーンから箸へと変化した時期です。
牛乳も瓶から紙パックになりましたね。私自身がこの時代に給食を食べていた世代なので、よく覚えています。
米飯給食開始でメニューが多様化
昭和51年からは米飯が給食メニューに加わり、おかずのバリエーションが増えました。コッペパンがいまいち美味しくない、と感じている子供たちにとっては、カレーライスやホワイトシチューなどご飯に合うおかずは願ったり叶ったりだったことでしょう。
ご飯にも味付きのメニューの場合もありましたね。わかめご飯やゆかりご飯などの炊き込みご飯も人気のメニューでした。
また、アメリカからの小麦粉の輸入により、コッペパンの他に小麦粉を使ったメニューとして開発されたのがソフト麺です。ラーメンとパスタの中間のような独特の食感は、給食でしか食べられないこともあって懐かしいメニューの一つとなっています。
肉類も、豚肉や鶏肉が使われるメニューが多くなってきた時代で、現代の給食の形に近付いたものとなっています。
平成の懐かしい給食メニューとは?
平成時代は今から30年ほど前からなので、10代~30代ぐらいまでの人はこの時代の給食に思い入れがあります。懐かしいと表現するのには、20代や30代でしょうかね。
この時代の懐かしい給食と言ったら、
どれも子供たちが好きそうなメニューですよね。
食育・地産地消・衛生
平成になり、o-157による食中毒の発生によって給食の衛生管理体制も強化されるようになりました。生野菜のメニューはなくなり、サラダなども一度加熱調理してから提供されるようになりました。
また、平成17年に食育基本法が制定され、食に対する正しい知識と望ましい食習慣を身につけることを目指した給食に変化していきました。その土地で生産された食材を使った給食(地産地消)メニューも考案され、地域色豊かなものになりました。
まとめ
平成令和と、行事に合わせてお楽しみ給食や、○○小学校で人気の献立などもありますよね。
こうやって戦後の給食から見ていくと、給食が単なる栄養補給のためのものだった苦しい日本の時代を経て、今では食べることから学ぶ教育の場になっていることが伺えます。
昔も今も、美味しく給食を食べることができて本当に幸せですよね。なかなか毎日こんなにバリエーション豊かなメニューを考えてくれて、親としては本当にありがたいことです。
大人も子供もみんな、給食を食べて大きくなったんですもの。感謝したいものですね!