モアイ像inイースター島!向きに関する謎とは?

雑学

先日、母がこんなことを言っていました。

「テレビで、イースター島のモアイ像について
 特集をやっていたんだけど、不思議よね。
 あれってどこを向いてるの?

いまだに謎の多い、イースター島のモアイ像。
一体どこを見つめているのか?
調べてみました。

モアイ像、イースター島について

イースター島はチリの海岸から
3000キロ西方の南太平洋上にある火山島です。

島の周囲は58キロ、面積180平方キロで、
佐渡ヶ島の4分の1程度の大きさしか
ありません。

ここに点在しているのが、ご存じモアイ像
大きさは、平均5メートル前後で、
重さは4~5トンほど。

大きなものだと、高さ20メートル、
重さ50トン
に、なるものもあります。

形をなしているものだけで、約230体あり、
切り出し途中と思われる、未完成のものも
含めると、1000体を超すそうです。

頭の上に、高さ1.5メートルほどの
赤い石の帽子をかぶっていた痕跡が
ありますが、今ではほとんどなくなっています。

何があったの!?モアイ像が倒れた!

1774年に、イギリスの探検家
クックが上陸した当時は、モアイ像の
半数ほどが直立していました。

ですが、一体何があったのか、1840年ごろには
すべてが倒れてしまって
直立しているモアイ像は一つもなくなりました。

現在直立しているものは、すべて、
復元されたものだそうです。

何トンもある立った像を全部倒してしまう
なんて、一体何が起きたんでしょうか?

謎の多い島と石像

誰が、何の目的で、どのように作ったかは
諸説ありますが、どれも決め手がなく、
謎に包まれています。

古代人がモアイ像をどうやって運んだのか、
それすら判断できないそうです。

モアイ像の向き

この島にあるモアイ像には、向いている
方角にも謎があります。

北と東を向いているモアイ像は
ひとつもない
、ということです。

一説には、モアイたちが向いているのは、
春分と秋分の日没の方角と言われています。

モアイ像を作った古代人は、
天文学に造詣が深かったのかもしれません。

また別の説では、アフ・アキビという
7体ならんだ像が見つめている先は、
伝説の王ホツマツアがやってきた島の方角で、

その7体のモアイ像は、ホツマツア王の
7人の息子(使者)を祀ったものだと
言われています。

ほとんどのモアイ像は海岸線沿いにあるのに、
アフ・アキビは島のほぼ中央にあること、

モアイ像の周辺からは集落の跡が発見されて
いるのに、ここのモアイ像の周囲には
それがないことが、特徴です。

また、海に背を向けて立つ像の見つめる先は
かつて集落があった
、という説もあります。

像の台座は祭壇で、その地下は首長の墓と
なっており、モアイ像は村を見守る
祖先の像
として作られたというのです。

かつて50以上の集落があり、栄えた痕跡が、
この説を裏付けているそうです。

モアイの向きひとつとっても、
実にさまざまな説がありますね。

モアイ像には昔は目があった?

モアイ像といえば、グレーの石を切り出して
作られた、目がなく顔が大きいものを
想像しますよね。

ですが、かつて、モアイ像の目には、
白い色をした石灰岩がはめ込まれていました。

モアイ像の目に関する説で、
こんなものがあります。

島の人口が増え、食糧不足が起きて、部族間で
激しい争いが起きました。

部族の力の象徴で、士気を高める効果が
あると信じられていたモアイ像は、
その神通力を弱めるため次々倒されました。

とくに目に力を宿しているとされたため、
引き倒されただけでなく
集中的に目を壊されたのだそうです。

紛争で貴重な石像が壊されるなんて、
なんだか、悲しいですね。

まとめ

モアイ像の向きには、天文学と関わりのある
ものや、宗教と関わりのあるものなど、
さまざまな説がある
んですね。

モアイ像に実は目があったなんて
初めて知りました。

母に教えてあげようと思います。

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