感情と論理の両立で人間力がUPする!

雑学

ふいに20年も前のことを思い出してしまったのですが、以前勤めていた会社の上司がいつ何時も冷静な人でした。ミスをした時には論理的に諭され、それが正論だとわかっていても何とも自分の気持ちの落としどころがないというのか、納得がいかない気持ちになってしまうこともありました。




なぜこんなことを思い出したのかというと、今息子の保護者として一緒に役員をしている人も同じようなタイプだから。論理的な発言は話し合いの着地点が明確だからわかりやすい部分もあるけれど、感情が伴ってないとどうにも共感できないように感じてしまうんです。

男性は論理的で女性は感情的だから、喧嘩になった時に話しが平行線になりやすい、とよく聞きますよね。誰しも経験したことのあることだと思います。

しかし、感情と論理とは相反しているようですが、実は関係性も深いと私は思うんです。感情と論理を両立させることとはどんなことなのか、私なりの意見を書いてみたいと思います。



論理的と感情的の違いとは?


他人と話し合いをしていて、自分の話し方が感情的だとか論理的だとか、あまり気にしていないことが多いですよね。単純に、話し合いの場で「自分はこう思っている!」ということを主張している訳です。

感情的とは?


話し合いの場で感情的な話し方に偏りがちな人は、「自分は今怒りを抱いている」というような感情から発生する欲求を満たす発言になりやすいです。欲求とは、感情に左右されることが多いので、「いい」とか「嫌」という話しの決断にもつながってしまうことがあります。

論理的とは?


一方、論理的な考え方、話し方に偏りがちな人は、筋道を立てて段階的に考えたり話すことが多いと言われています。つまり、結論に至るまでの違和感のない原因や根拠をちゃんと言葉にして説明できることをいいます。




しかし、論理に縛られすぎると感情を押し殺すように、まるでロボットのように温かみのない意見となってしまうこともあります。

論理だけ、感情だけに偏ってしまうと、お互いの納得できる終着点に辿り着く前に話し合いは終わってしまいます。とは言え、人間とは論理的な部分と感情的な部分を持ち合わせた存在なんです。

人間は論理と感情の間に居る


本来、人間は自分の感情を表現したい生き物です。湧き上がる感情を糧に生み出される芸術も然り、何かを行う時のエネルギーになったり、人を変えるようなパワーになり得ますよね。

ただ、感情は大きな欲求も生み出します。感情だけを優先させると、それが間違っているものでも欲求の追及をしたくなってしまいます。それを止めるのが論理です。

しかし、論理だけを優先させると感情を押し殺して正しいことだけを判断し、相手にも同じようにルールに則った意見を押し付けるようになってしまいます。

社会生活の中で、人間は無意識ですが感情と論理のどちらかを自分の都合で優先させて生きています。自分の感情から沸き起こる欲求を、後付けの理由で正当化してしまうこともあります。

時に、それが論理的でなくても自分を納得させるのなら腑に落ちることも多くあるはずですよね。論理と感情を両立できる思考で、その人ならではの流儀で判断するのがいかにその人らしい人生になるか、ということにもなります。

まとめ


ビジネスの場では、論理的な思考が重要とされていますが、感情と論理の中で揺れ動く人間が集まり仕事をしている場では、論理だけで決着は付けられません。

人が納得できるのには、論理だけではストンと落ちるような感覚にはならないことがあります。相手の感情を共感できる力と理由付けされた説明で、感情と論理を両立できると本当に納得できるものなんだと思います。

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