高校生の従弟が、国語の教科書を開いて
こんなことをつぶやいていました。
「梶井基次郎の『檸檬』って小説の
感想文を書かなきゃいけないんだけど
どう書いたらいいの?」
たしかに、私も高校生のとき
国語でやりました、『檸檬』。
みなさんもやりませんでしたか?
私は当時感想文は求められなかったの
ですが、そういえばどんなふうに
書いたらいいんでしょう。
気になったので、もう一度読んでみました。
あらすじ
肺病と神経衰弱にかかった「私」は、
得体の知れない不安に
四六時中さいなまれるようになります。
そうして、それまで好きだった音楽や詩、
美しい物への興味を失って
ふらふらと街の汚い路地をさまよいます。
そんなある日、普段から気に入っていた
果物屋に、珍しく檸檬が売っていたので、
「私」はなんとなくそれを買いました。
熱のある手のひらに、
檸檬の冷たさはなんとも心地よく、
不安がまぎれ気分が晴れやかになります。
檸檬のおかげでいい気分のまま、
最近避けていた文具店の丸善へ入ると
急にまた気分が重くなりました。
昔は眺めるのが好きだった画集を
手に取りますが、憂鬱は治まらず、
開いては手元に置くのを繰り返しました。
積みあがった本の山を見て
「私」はふと、たもとの檸檬を
ここに置いてみたくなります。
そうして「私」は画集の山に檸檬を置き、
時限爆弾のように十分後爆発するという
想像をしながら店を出ていきました。
読書感想文のコツ
読書感想文というもの全体を考えるとき
書くコツというのは存在します。
本来、感想文は、思ったことを
自由に書くものなので、コツというのは
ないはずですが、そこはそれ。
今回は先生に受けがいい、点数がとれる
であろう感想文のコツをお教えします。
- 登場人物がなにか行動をとったとき、
「自分にはこうはできない」
または「自分もこうする」と考える - そのうえで「自分も今後こうしよう」と
前向きな結論をみちびき出す
作品を読んだこと、つまり、
作品の中の登場人物たちがどう関わり
動いたかを読んだことをきっかけに、
自分はどうかと反省をして
それを感想として書くわけです。
コツが効かない!?
さて、さきほどのコツを踏まえて
『檸檬』を読んでみましょう。
『檸檬』には、登場人物が
主人公の「私」しか出てきません。
「友達の家を転々として暮らしていた」
と、友達が出てきますが、物語として
関わってはいませんよね。
人との関わりの中どういう行動をしたか、
それによって何が起きたか、を考える
さきほどのコツでは、うまく行きません。
それでは、どう考えたらいいかを
ご紹介します。
これは小説じゃない、絵だ!?
一つには、こんなに他者が出てこない
小説なんか小説じゃない!
これは絵画なんだ!と割り切る方法。
『檸檬』を「絵」だと考えると、
とてもあざやかな作品です。
檸檬のレモンイエローとまるい紡錘形、
果物屋に並ぶ果物や野菜、
いろどり豊かなおはじきや花火。
以前は好きだった丸善に並んでいる
切子細工や香水瓶、キセル、そして画集。
とにかく実にさまざまな色と形のものが
並べられているじゃありませんか。
『檸檬』という絵を読んで、
そのアート表現の好き嫌いを語るのも
感想文の手段の一つです。
心という不可思議なやつ
もう一つは、人とではなく物と関わって
ゆれ動く主人公の『心』を見て
どう感じたかを書く方法です。
不吉なかたまりに心をおさえつけられたり
ささいな好きなものを見て気分が晴れたり
謎のいたずらをしてみたくなったり。
そういう気持ちが自分にあるかないか、
さきほどのコツの一つ目のように
自分をかえりみて書いてみましょう。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
絵として小説を見るなんて方法が
あったんですね!
従弟に教えてあげようと思います。
学生さんも、そうでない人も、
ぜひもう一度『檸檬』を読み返して
見て下さいね。